そういうことであれば書こうじゃないか。ライナーノーツを。
しかも豪華(?)2本立てだ。
5年10ヶ月ぶりのエモーショナリズム ついに発表されたニューアルバム、
Seven Pictures 3 「Existence」 / NAKAO☆。前2作とはうって変わって、今回はメロディアスなハードロックを基軸として、極めて高い次元でバランスされたアルバムに仕上がっている。とはいえ、「あぁ、今回はロックだな。」といったような感覚は不思議と湧いてこなかった。既に筆者の中で、”NAKAO☆”という独立したひとつのジャンルが確立されているためだと思われる。
関東み組のイヴェント・ナイトシーンを用いたジャケットデザインが如何にもNAKAO☆らしい。他のデザイン候補に、都内の某一等地に構える、東京タワーを見下ろすような高層階にあるNAKAO☆宅から撮影した素晴らしい写真もあったが、自宅の場所が特定され、バルコニーのプールサイドで日光浴中に狙われる等のリスクを鑑みると、不採用となっても致し方無いだろう。(注)
今回、最終的な音質チェックと共に、全曲のネーミングをさせてもらう機会を戴けた。
光栄であったが、驚きもした。以前当ブログの中で、曲に名前など特別必要だと思わない、といったような内容を書いたことがあったからだ。確かに書いた内容通りのことを考えてはいるが、名をつけるとなったら生半可なことはしたくない、とも考えている。
その上NAKAO☆氏は筆者のことを「プロデューサー的存在」なんて言ってくれている。恐悦至極だが、そんなことを言ってしまってアルバムのイメージがチープなものになったりしないだろうかなどと変に心配してしまう。ただ、そうだとしてもそれを軽く吹き飛ばして余りある破壊力をこのアルバムは持っている
曲から受け取ったイメージやそこから派生した想像を基に命名させてもらったが、感覚は十人十色なので、各曲にイメージコピー的なものを添えさせていただく。楽曲を楽しむ一助となれば幸いである。
Existence 時代も世の中も、俺を取り巻く環境もずいぶん変わったが、
俺は相変わらず此処に立っている。おそらくはこの先もずっと。 このソリッドでクールなナンバーでアルバムは幕を開ける。メロディラインを奏でるギターの細かな表現、展開の美しさにトキメキすら覚える。これぞNAKAO☆である。これが誰であるか、一聴して即座に判る。
この曲は曲名が浮かばず割と最後まで残った。Existenceは存在・実存を意味する。オープニングナンバーでこれだけ心を鷲掴みにする存在感に、「NAKAO☆此処に在り」と言いたかった。
Wonder Dreamer ぼくらは自由。ぼくらは無限。
何にでも成れるし、何処にでも行ける。 かつてないタイプの曲。ポップとヘヴィネスが融合した多彩な色合いの世界を自由自在に飛び回るギタープレイが堪能出来る。このアルバムを象徴する曲のひとつ。明らかに新たなステージに躍り出たNAKAO☆楽曲の新しい一面に魅せられること請け合い。
Windy Hill そうだ あの風の吹く丘にのぼろう あそこから街を見下ろせば こんな気分はすぐに吹っ飛んで きっとまた笑える 初めて耳を通したとき、Wonder Dreamerで絶句してこの曲で固まった。どうしたらこんなにドラマティックなアレンジが思い付くのか。生き生きとしたメロディをハーモニーにして包み込む。この曲には「風」を感じる。髪が乱れる程の風だが心地よい。そして前進する力。ひたむきで挫けない澄んだ心がここにある。
Suspicion この小さな疑念が ”その通り” だとしたら ”信じていたもの” は 幻だったのか? 真実は 俺が此処にいる意味は 一体何処に在る? 見事としか言いようがない。いわゆるAORの王道、全ての要素を踏襲しながらも既存のどんな曲にも似ていない。サビで描かれる、心が揺れ動く様に胸が締め付けられる。ある程度人生経験を積んだ人間ならば、忘れていた記憶のどこかをくすぐられずに居られない名演。
Clockwork Destiny たとえぼくらの運命が 神様の作ったゼンマイ仕掛けだとしても たとえぼくらの存在が ちっぽけなものだと気づいてしまったとしても それでも ぼくらは歩いてゆく このアルバムの目玉のひとつがこの曲だ。Long Hard RoadやSuper Greatといった名曲を易々と超える破壊力。曲名は筆者がこの曲に時計のようなタイトなノリを感じてしまったことに起因する。
全ての楽曲に言えるが、NAKAO☆楽曲には底抜けにハッピーな「だけ」の曲も、ひたすら絶望の淵をさ迷う曲も存在しない。一見平静を装っていてもどこか憂いを感じさせたり、苦悩する情景を呈しても必ず手を差し伸べる用意があったり・・・NAKAO☆楽曲の描く情景にある、そういった繊細な表現が、そもそもが複雑である我々人間の心と図らずもシンクロしてしまう、そういうことではないだろうか。
Wasteland Express 荒野を駆け抜けてゆくあの列車に とうとう乗り込んだ 行く当ても荷物も 帰る場所もない あるのは”希望”だけ NAKAO☆的、80年代ブリティッシュ・ヘヴィ・ロックである。一体どれだけの引き出しをこの男は持つのか、ただただ脱帽である。古臭い「味」と洗練されたバランスが見事に融合して、明らかに方向性の違う他の曲とも完璧な調和を見せる。霧のかかったウェットなブリティッシュロックと、粗削りで大陸的なアメリカンロックのパワーを同時に内包する。
Not Alone この曲にはイメージコピーの付けようがない。
祭り囃子を連想させるパーカッションが心地よい。優しいピアノとストリングスの上でふわりと奏でてみせる。NAKAO☆のアルバムらしく、上質でハートウォーミーなナンバーで締めくくる。
イメージの基となった、こでわい氏の撮影した祭りの画像も拝見した。実に懐かしい、心の安らぐものだった。例えば生まれ育った土地の神社に懐かしさを感じるとしたら、その多くは子供の頃の「お祭り」の記憶に依るものだろう。祭りとは不思議で、自分という存在と、その場所、その空間、そこに居る人々との間に独特の「繋がり」を生み出す。
群れるのも、馴れ合うのも流儀じゃない。しかし「孤独ではない」のも悪くはない、そんなイメージでこの曲名とした。
だけではない。
前作、Seven Pictures 2 ~Melodies~のラストナンバーは”ALONE”であった。もどかしい、やりきれない想いを、優しい笑顔で覆い隠す様な、切なくも美しい名曲である。
そして同時にこの曲は、事実上の活動休止宣言でもある。
”Not Alone”とは、「おかえりなさい」という歓迎の気持ち、「帰ってきてくれた」という感謝の気持ち、そして「もういなくならないで」という、恐らくは全てのNAKAO☆ファン共通の切なる願いである。
-- 意図したわけではなかったが、全ての曲名が決まった後に、7曲全て「存在」という言葉に紐付けられるのではないか、と気づいた。ExistenceやNot Aloneは自己の存在を意識する様、Suspicionは自分の存在意義が揺らいでいく不安、Wonder DreamerやWasteland Expressは存在を確立しようとする様子・・・といったように。そうして図らずもタイトルに一貫性が見え、やり過ぎかと多少躊躇したが、アルバムタイトルもExistenceにしてみてはどうかと提案したところ、幸い気に入ってもらえたようだ。前述した、生半可なものにはしたくないとは、つまりはこういうことなのだと思う。 --
「いなくならないで」とはいっても、やれブログをやめないでだの、活動形態がどうとかそういうことではない。本能の赴くままに、NAKAO☆らしい音楽を世に放ってくれさえすればいい。何処にいようと、我々は必ずその音を見つけられる。
何故なら、
その音は唯一無二のものだから。
2016.11.12 麻呂
(注) もちろん冗談である。NAKAO☆氏はその辺りとは別のエリアにお住まいだ。ジャケットアイディアを拝見したときに、「俺んちからの眺め。嘘ですすいません。」なんてウィットが添えられていたので乗ってみたわけだ(笑)
[広告]
5年10ヶ月の時を経てついに降臨!
ファン待望のSeven Picturesシリーズ最新作!
全世界同時リリース!!!
最強にして最高濃度!放たれた快音兵器! ブッ飛んだ。おそらくこのヒトに限界はない。もちろん超えるのに相応の苦しみはあるだろうが、進化の幅は青天井なんじゃないか。
NAKAO☆ファンの皆さんお待たせ。今回も期待を遥かに超える破壊力でやられちゃってください。
往年のドッケンを彷彿とさせるイントロで始まる”
Existence”は、直後にメジャーでさらりと語りかける裏切りが素敵過ぎる。まじりっけなしのNAKAO☆サウンドだ。待ってました!って感じ。なかおさん曰くイントロが決まった瞬間にジョージ・リンチ・スイッチが入ったらしいが、俺にはそんなスイッチはない。そのスイッチくれ!と本人に言ってみたが「リッチーブラックモアスイッチと交換で」なんて返されてしまった。しかし後に、なかおさんはリッチースイッチも持っていたことが明らかになる。
そしていきなり新境地、リズムギミックや多彩なハーモニー、ドラマティックなシンセパートなど聴きどころ満載の”
Wonder Dreamer”に続く。この曲は新鮮。ブ厚いサウンドにフレンドリーなメロディ!これが好きって人多いんじゃないの?花火ブッ放す無敵戦車とキャンディ大量投下するサイケデリック戦闘機!NAKAO☆音楽は俺たちの世界を夢や希望だらけにしてしまう。
次は俺のイチオシ、”
Windy Hill”。これ聴いてるとスゲエ元気出る。前に押すパワーが凄い。左で鳴ってる機械的なピアノのアルペジオがいいね。全体的に音がキラキラしてる。
なかおさんは「ソロ終わりに唐突な転調が・・・」なんて言ってたが、わからなくて探しちまった。ソロの最後って書いてあるのにだ。きっとみんなそうなんじゃないか?
何故か?唐突だと感じないから。前作でもシンセパート間違えたらオシャレな響きになって、アドリブがキマった、なんてことあったけど、たぶんそういうの「天才」って言うんだと思うよ。
そして”
Suspicion”。これも好き。こういう曲って、ヴォーカルを活かす為に、耳触りが心地好いこと「だけ」こだわって、バッキングは極力のっぺらぼうにする。なかおさんは物言わぬギターで完璧に歌い上げてる。歌なら例えば言葉があるから、ここはこんな歌詞とか英単語や他の外国語を効果的に入れたり出来るし、声には吐息やカスレなどいろんな表情がある。それに負けてない。むしろ凌駕する勢い。
その勢いは止まらず”
Clockwork Destiny”になだれ込む。メロディの躍動感がハンパない、このアルバムの目玉のひとつ。名曲Weekend Driveを彷彿とさせるリフや、Long Hard Roadを連想する開放弦絡みのフレーズに思わずニヤリとしてしまう、正真正銘のNAKAO☆印。この曲は後から追加された曲のはず、なかおさん「ふつうこれ1曲目だよね(笑)」なんて言ってた。5曲目だと昔のアナログ盤だったらB面トップだ。レコードひっくり返してこれ来たらハートの休まる暇がない。ノリノリで。
お次は俺がつい、毎回「来たっ」と言ってしまう”
Wasteland Express”。なかおさんは「やっぱり俺はリッチーにはなれなかった(笑)」なんて言ってたが、このアクセントにクセのあるリズミックなペンタトニックはリッチーそのもの。彼はリッチースイッチもちゃんと持っていた(笑)そもそも”ギタープレイの玉手箱”NAKAO☆がそんな小さな枠に収まりきるはずもない。「リッチーになれない」んじゃない。うっかり超えちゃってるだけだ。踏切待ちのエルカミーノからカウボーイハットのヒゲ面がサムアップするのを横目で見ながら、彼はさらなる境地へと突き進む。
ラストの”
Not Alone”で、ようやく健康的な心拍数になる。優しい、やわらかな響きに癒される。夏祭りのスナップからインスピレーションを得たというこの曲は、俺を立ち止まらせ、「俺は誰だったんだっけ?」と原点回帰させ、金魚すくいをする子供を遠くから応援させ、そして俺に十数年ぶりのワタアメを買わせる。毎年顔を出すわけじゃないけど、なくなったら寂しいだろうな、なんて勝手なことを考えさせる。
「何を生意気な」と読む人に笑われるだろうがこちらでは勝手に彼をライバル視している。
知っている。なかおさんを超えられる日なんてきっと来ない。知っていても挑む。挑み続ける。
俺のマスターピースである彼の曲、 ”King Of The Road” に対する俺なりの答えが ”King Of The Ocean-HIDE” だった。その曲”海王”で彼の”道王”に、敵わないまでも肉薄してやると目論んだ。結果”道王”に迫ることはできたと自負しているが、NAKAO☆という巨大な才能、表現の怪物は未だ遠いところに在る。背中くらいは見える距離に近づいたと思った矢先にこのアルバムでまた遠く引き離されてしまった。そのことが悔しいし、嫉妬に似た感情すら覚えるし、そして何より、そういう存在で居続けてくれることに心から喜びを感じる。
編集やミックスの技術はその道を目指して学ぶ、あるいは実際に経験して学ぶしかない。作曲やアレンジの才能は元からあるものを磨くとかこれまた学んで得ることになる。さらにはギターが巧いだけの人間なら掃いて捨てるほどもいる。
考えてもみてほしい。これだけの感性の持ち主が、奇跡的にもギターで何かを表現することを選び、(もちろん努力や研究の積み重ねで得たものだが)作曲・演奏・録音編集と3拍子揃った技術を兼ね備えたうえで、これほどまで完成度の高い作品を、これほど我々に近いところから発信してくれる。
俺たちは忘れるべきじゃない。
「NAKAO☆という存在」そのものが、そもそも”奇跡”なんだってことを。
2016.11.13 Brainflow
※1 念のため言っておきますが、麻呂とBrainflowはおなじひとですよ。
※2 あぁそれから、このアルバムが生まれるキッカケを作ってくれた方々、本当にありがとう。それから澤井さん、お大事に。
[広告]
「ラスクうめえ」 全てはその一言から始まった・・・!
シリーズ第三弾はNAKAO☆渾身のメロディアスハードロック!
Seven Pictures 3 「Existence」
絶賛配信中!!!