以前もブログを書いていた。
「大貨・大特進入禁止」なんていうおかしなタイトルで。
5年ほど書いただろうか。
内容は長距離運転手の仕事の中身と、人生で唯一真剣に取り組んでいるもの、ギターに関することが主だった。
ブログを通じてあるギタリストに出会った。
柴犬と駅弁とアートトラックと、今や全国的に有名になった北海道のローカル・バラエティ番組に目がない、一風変わった男だった。
その男の楽曲が俺を魅了した。どの曲も聴けば情景が浮かんだ。まるで音で絵でも描いているかのように。
俺はその男のことを「絵描きさん」なんて呼んだりした。音楽家として尊敬していた。
やがて仲間が増え、楽しいことが毎日起こった。そうでないことも時たま起きた。
ある日、
絵描きさんは姿を消す。
何があったのか、どんな心境だったのかは、本人の口から語られたこと以外わからなかった。
俺は彼のブログを含むネット上の活動を止めてほしくはなかったが、この言い方で正しいかわからないが、そっとしておくことにした。俺の望みは彼の作品をもっと聴きたい、それだけだった。連絡手段はあったが、あまり頻繁に連絡を取ることはしなかった。
俺は何かに没頭すると回りが見えなくなりがちで、その対象が人物であった場合、その人物に随分と鬱陶しい思いをさせてしまうんじゃないか、そんな思いもあったからだ。
しばらくして、俺は俺の事情でネット上の存在の痕跡を消すことになる。
当時のやり取りから生まれた、曲のアイデアがあった。頭のなかで構想を練った。形が見えてくるにつれ、絵描きさんに聴いてほしいという思いがどんどん大きくなっていった。その曲の生まれる背景に絵描きさんが大きく関わっていたからだ。
生活状況が目まぐるしく変わり、制作中断を何度も余儀なくされた。果てはPCクラッシュによって曲データを失ったが、再び環境が整うと一から再構築した。何がなんでも完成させたいという想いは日に日に強くなった。半分意地だった。
そんな折、絵描きさんが再開したブログを見つける。
想いは加速し、ついに曲は完成した。
絵描きさんは、今まで聞いたことも無いような誉め言葉をくれた。そして俺の曲に「背中を押された」と言った。
それから何日も経たないうちに、絵描きさんは新曲を発表した。活動を再開したときに、まず手をつけようと思ったのがこの曲だったと。
RE:START / NAKAO☆ on muzieこの曲に解説は要らない。
何故この曲なのか、その想いは彼の演奏に、その息づかいに如実に表れている。
6本の弦を自在に操り、
音で空間に
或いは聴く人の心に絵画を描く
音の魔術師、再臨。
あるときは力強い写実画
あるときは叙情的な抽象画
あるときは繊細な風景画
ウルトラスムース & エモーショナル
彼の音で描かれた絵はいつも俺の魂を揺さぶり、心を掻き立てる。
この先、俺の中に鳴り響く音は決して止むことはないだろう。彼がいる限り。
彼の音楽がアイディアを呼ぶのではない、
彼の、ギターと音楽に対する、真摯で一途な姿勢、つまり彼の生き方そのものが俺を突き動かすのだ。
もし、この先
絵描きさんがまた絵筆を置くようなことがあったら、今度は俺が俺の音で尻を蹴りあげてやる。
1. 無題
大切な友達というのはそういうものだと思う。
海王を聴いて、これ程までに壮大な曲構成を形にするのにどれだけ時間を要したか同じ作曲家として想像できた。
難しい3連のリズムの中で、しかもストラトであの演奏。
実力を再確認。(正直この男にはかなわないとまで思った)
そんな男にだ、ここまで褒められると照れくさいが、やはり「音で絵を描く」ということは今後より一層意識しないといけませんな。自分ではハッキリとは意識していなかったが、言われてみて「音で絵を描く」という表現がとても判りやすい。
しかしだ、柴犬も駅弁も、アートトラックもそれぞれファンは沢山居るだろ?
一風変わった男ってw
まあ、良しとしようw
ウルトラスムース & エモーショナルなんてのは良いですなぁ。
目指すところですな。
一番目指したいのは昔から一貫して「気持ち良いギター」
これに尽きます。