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無礼院慈安宮

もはや備忘録

般若心経


謹みて初春の喜びを申し上げ奉る。

さてもさても久方振りにて候。



今年の初詣は、安曇野は穂高神社に詣でて、
その足で一山越えて、
鹿教湯温泉で初湯を頂いてきた。

風呂はまぁ、
日帰り入浴のできるようなところで
特別豪華なわけでもなく慎ましく済ませたが




何やら氷の灯籠に火を灯す、なんてのを
毎年やってるらしい。




温泉街から坂を下り





屋根のついた木橋、五台橋を渡った向こう岸、
文殊堂と薬師堂への参道の石段まで続いていた。




上まで来てみた。

静かな川の流れと温泉街が望める高台に
文殊菩薩と薬師如来が祀られている。

鹿教湯の名の由来、
猟師が鹿の後を追い温泉を見つけた、
その湯を教えた鹿が文殊菩薩であったという
古くからの言い伝えに
医薬の神、温泉神として薬師如来が加わった
ということらしい。

五台橋は現世と神の世界をつなぐ橋、
という思いが込められているそうな。





はいはい。

わかってます。

そんなことじゃなくね。



「いやタイトルなんなん?」


ごもっともごもっとも。

般若心経/無礼院慈安宮ですからね。
どこの寺ブログだよと。




俺、般若心経好きなの。

いやいや大丈夫。どこも打ってない。

ただその、今回仏教思想的な話でもなければ
般若心経偽経説だとか
そもそも色即是空っておかしくね?問題とかでもない。



あーのーさぁ、
もちろん他の経典でも真言でも起こりうるけど
音楽的な意味で刺激を受けることあるよね。
その、リズミックな部分だったり
ヴォイシングというか響きだったり。

ちょっと検索してみても、
似たようなことを考える御仁は少なくないようで、
例えばヴォーカロイドに歌わせたり
様々なアレンジがみつかる。

ただなぁ、
なんつーか俺の場合、
楽曲として形にしたいのと違うんだよなぁ。



えーと、
お経って当然、大勢で読めば読むほど音厚いよね。
で、大勢になればなるほど
息継ぎも簡単なわけだ。誰かが声出してるから。
ただ、お経って、息継ぎのあと
ポルタメントで低い音程から入るのね。
ギターで言うと
テンションゼロからのアームアップみたいな感じで
目標音程より低い音程から発声して混ざる。
それが無作為にバラバラに起こるから
もんのすごいウネリが生まれるのがまず一点。

それにそもそもの音程。
例えば最初に読み始めた坊主が基準というか、
メイン坊カル、リード和尚になって
その人の音程に合わせるとする。
合わせるんだけど別に音楽やってるわけじゃないから
ビミョーにずれてたりする。
また声域みんなバラバラ、
声の高い人も低い人もいるから、
その音程は私にはキツイとなると
なんとなく落ち着くところを探す。
それがたまたま5度とか5度下だったり
極端に声の高い人低い人は
メイン坊主のオクターヴ上下だったり。
ときには短3度だったりもする。

リード和尚が聴こえない位置では
それぞれが自分に聴こえている音程に対し
同じことが行われる。
そうすると全体的なハーモニーにおいては
テンションであったり、
なんなら♭5度が鳴り続ける、
なんて状況すら起こる。

かくして、
全体的なハーモニー、と呼ぶべきかもわからん
超絶不協和なヴォイシングが
超絶不安定なまま
無作為に無数に割り込むポルタメントと混ざりながら
決して解決することなく鳴り続ける、
そんな感じが俺の思う「読経の音場感」であって
それがトランス的、或いは変性意識状態的な
仏教思想的なものとはまた違う
何らかの「音楽的価値」を
生み出してるわけなのですよ。俺にとって。


で、
そこに何がしたいのかというと、
コード付けてみたい、と思うわけ。
重厚感やテンションノートが演出され
なんならリゾルブがあってもいい、
そういう般若心経が聴いてみたいと思っちゃうわけ。

だから、例えばリズムに乗せてとか、
メロディを当てて歌にしてとか、
ヒップホップアレンジとかとは、
なんかやりたいことが違うわけ。
それに例えば小本262字を単にノートと捉えて
曲の構成によって文節も関係なく
折り返したり切れたりしているのも違和感を覚える。



で具体的にどうすりゃいいのか?

自分で読経するしかないというか
それが一番手っ取り早い。
根気と気合次第で何声だろうが重ねられる。

そういうことが罰当たりなのか否かはわからん。
ただ少なくとも、
佛にも神にも畏怖と感謝と敬愛の念は持っている。


なんとなく書きたくなって書いてみたけど
今年やろうと思ってます!なんてことでは無い。
だってさ、


そのプロジェクト、ギターでてくんの?





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