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無礼院慈安宮

もはや備忘録

うっせぇのは承知しておりますが



そりゃあ若者はマイノリティだろう。
そっから上は全部オトナなんだから。


やあ。

突然何を言い出すんだイカれたか麻呂と思ったことだろう。
ぼくは元気です。

実は↓こんな記事↓を見つけましてね。

「うっせぇわ」を聞いた30代以上が犯している、致命的な「勘違い」(鮎川ぱて @しゅわしゅわP) | 現代ビジネス | 講談社(7/7)


そしてこの記事は日本の平均年齢である47歳、1973年生まれに向けて書かれているという。

俺やんw

JKシンガーAdoが歌い話題になった「うっせぇわ」、初めて聴いたときは腹の底から笑った。
何故って痛快だったからだ。心底気持ちが良かった。
同時にどことなくやりきれない気持ちにもなった。


いわゆる若者が於かれている状況は、今日ではあまりに酷く過酷だ。長期間のデフレ横這いのGDP、グローバリズム新自由主義経済の横行、自己責任論の蔓延、格差拡大弱者切り捨て見殺し政策。

愛知県のでっかい自動車メーカーが「若者のクルマ離れにストップをかけたい云々」みたいなことをぬかすたびにカチンとスイッチが入りかける。フザケンナテメーラミタイナダイキギョウガニッポンノケーザイヲイカリャク
クルマなんかおいそれと簡単に買えねぇんだよ今の若い世代は。そんな社会にしたの誰だよ。



かつて左翼、リベラリズムは帝国主義・軍国主義による管理統制社会に立ち向かうヒーローだった。体制に反旗を翻し権力に抗い自由を叫んだ。

ところが今ではどうだ。
グローバリゼーションがあらゆる共同体を破壊し個人をバラバラにし、勝ち組負け組を選別しその差を広げている。ソ連崩壊で消えたと思っていた社会主義・共産主義の脅威、左翼全体主義による独裁社会、そんなものを推し進める勢力がこの日本やアメリカにまでリーチをかけてしまった。

これが自由か。
これが求めていた未来か。



若者はマイノリティである。
その事自体は俺たちが若者だった頃も、それより前も変わらない。
目的と手段の優先順位が逆になりがちなこの国の、それが生み出す同調圧力に俺は反吐が出る。
歌詞にあるようなグラスが空いたら酒つげ串外せだの、その手のことが俺はめっぽう苦手だ。
けど、本質はきっとそんなことじゃない。

俺達が若者だった頃「わかってもらえなかった」様に
俺達に奴ら若者の心の内など「わかるわけねぇ」訳だ。

彼らの「わかってもらえない」には、受け入れてもらえない認めてもらえない許してもらえないも全部入る。それらに理由がある場合それはこれから知る。
俺達が忘れてしまったことの中には、忘れたくて忘れたことも、忘れざるを得なかった、記憶の抹消を余儀なくされたことも含まれる。しかし心の片隅に何かしら純粋性のようなものを最後の砦として守っておかないと、究極の緊急事態の火事場の土壇場で外道に落ちる可能性が高い。



敗戦で国家の重要な部分をイジられて謀られて以降、この国が没落していくのを知らず手助けした、または見て見ぬ振りをした、或いは気付くことが出来なかった俺達間抜けな大人に責任があるとしたら、俺達大人には若者を救う義務があるのだろうし、またそれができるのは俺達大人しかいない。


彼らはナイフのように尖って夜の校舎窓ガラス壊して回ることの無意味さをイヤというほど身に沁みて理解している。現実によって思い知らされているからだ。



本来俺達オトナは、奴らワカモノにこう言うべき存在である筈だ。








生きたいように生きろ


ケツは俺達が持ってやる







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