一昨年、
DEADENDのギタリスト足立祐二氏が他界された。
確かに好きなギタリスト、
或いは影響を受けたであろうアーティスト、
そういう位置づけではあると自覚はしていたが
自分でも驚くほどに
自分の中での彼の存在は大きく、
一昨年以来
(彼に関することに於いてのみ、ではあるが)
すっかりと時が止まってしまっている。
ショックで何も手につかないだとか、
よく言う「なんとかロス」みたいなことではないが
彼の死に関することにおいてのみ
すべての思考が処理を停止する。
今まで
状況に押し流されるように生きてきた。
自らの願望、
或いは選択意思決定の作用する余地の
あまりに少ない人生だった。
趣味に割くことのできる余裕が
時間的にも精神的にもない時期もあった。
2005年、
ソロアルバム"You's Alien"に出逢う。
俺は狂喜乱舞した。
1990年の"PSYCHICAL ISLAND"以降の
一切の活動について知らなかったからだ。
実際作品の仕上がりも
彼の魅力の詰まった素晴らしいものだった。
舞い上がった俺はアマゾンの商品ページに
厨二病まがいのレビューを書き殴り
勢い余って
当時のファンクラブ宛だったか、
本人にメールまで送ってしまった。
すると本人から丁寧な返事を戴けた。
俺の狂気的大絶賛を喜んでもくれたが、
病気による耳の不自由の苦しみや
活動の苦難について書かれており、
そのときに、なんというか、
おかしな話だが
罪悪感めいたうしろめたさを覚えてしまった。
俺は何も知らなかったんだな、と。
うまく言えないが
簡単にファンですなんて
言う資格がないような気がしてしまった。
だって
「ファン」は皆
追いかけて応援し続けてきたんだから。
だからというわけでもないが
その後も境遇はたいして変わらず
それ以降の彼の作品は
満足に聴けていない。
彼が此の世を去った今も。
俺は彼の死をどこかで受け入れていない。
未だ聴いていない作品がまだたくさんあるから、
曖昧にして誤魔化しておける。
だからといって
哀しみに任せて貪るように
それらを聴き漁ることもできずにいる。
無意識に回避しているのだと思う。
彼の残した録音、演奏作品を
全て聴き終わる時がいつか訪れ
もう新しい作品は
二度と生まれてこないという
現実に直面することを。
最近気付いたことがある。
俺は自分の為に生きていない。
足立祐二は、恐らくは死の瞬間まで
自らの求めるものの具現化に
その命を投じた。
俺は
一体誰のために
何が為に生きているのだろう。
これからも
それが自分にまかり通る限り
足立祐二というギタリストの死を
曖昧なままにしておくのだろう。
誰それの魂は永遠だとか
私の心の中に生きているとか
そういうのは
死を受け入れた後でないと言えない。
今までの様に
俺の知らないどこかに
足立祐二は居るんだろう。
そういうふうに自分を
誤魔化しておくことにする。
今のところは。